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百不知百不会

百不知百不会

道しるべ

不思議なめぐり合わせに、生きる意味を言葉にしてしまい、毎度「私」を錯覚する。

「私」は主語のない何事かの記憶を運ぶ、ただの小さなメディアかもしれない。

そう知ったふりして、意味などないと意味付けして、また縛られる。

しょうがないから、超越論から離れたと嘘をついてみる。

すべて受動と宣言してみようと勝手に思う。で、何事の知らない声を待つ。

「会う」も驕慢かも。

ただ、かたじけない。知らんけど。

傾聴僧の会 石倉真明拝