お知らせ

衆生病むが故に 我また病む

衆生病むが故に 我また病む

道しるべ

傾聴しようとするから、苦しみが生まれるのかもしれない。私自身、日々反省です。

でも、苦と楽、病気と健康などの二項対立を超えて聴く。確かにそんな同時といえる体験もある。

傾聴の目的は人それぞれでいいと思います。でもその目的も一度疑ってみてはどうでしょう。

別様の可能性が観えるかもしれません。

分不相応ですが、ヴィマラキールティの病気の見舞いに行ってみようと思ってます。

傾聴僧の会 石倉真明拝